映像業界での僕のキャリア②
― 2015年7月13日 ―
映像業界での僕のキャリア②
埼玉に本社を置く、ビデオソニックという会社は、全部で100人前後いる、大きな会社だったが、
当時社長さんも40代、幹部の2名も30代半ばという、とても若い会社だった。
僕にとっては、赤ちゃんの自分を育ててくれた
思い出に残る会社、というより人々だ。
社長の采配は、目の届く限り・出来るだけ公正・公平で、親分肌で器の大きい人だった。
結婚式ビデオ・内部統制の管理をする本部長も、氷室京介似で、白いスポーツカーに乗り、35歳の若さで、管理職用の黒光りする背もたれの大きな椅子に座っていた…。
かっこ良かった…。
後輩達は、みんな彼に認めたがられていた。
彼らが上層部でなくなったら、僕はこの会社はやめよう。
そう思える二人だった。
きっと…、
映画監督になる!という野望がなければ、ここで楽しく社員をやっていただろう…。
結婚式のビデオと、幼稚園等の学校イベントのビデオの、
二本柱の映像製作会社で、新人研修性は全員 結婚式ビデオに配属された。
結婚式ビデオで認められれば、イベント系の撮影に呼ばれ、
さらにその上にPV課と呼ばれる、企業VP等のちょっと難しい案件を
処理するクリエイター部隊がいるそうだ。
僕「PV課に入りたいです!」
面接担当社員「そーとー(×5)。頑張んないと無理だよ」
面接でこのやり取りの後、僕も無事、結婚式ビデオに配属された。
研修は全20回で、その都度、違う先輩社員にくっついてアシスタントだった。
最初の6回は、結婚式の披露宴会場の隅に立って見てるだけ。
ケーブルの巻き方を教わってないけど、
なんで巻けねーんだ!
と怒られたりしていた。
…。
……。
「カメラ触らせて頂けないんだったら、やめます」
そう会社側に言うと、
「ごめん、ごめん。色々業務とか忙しくてさ~」
と返事を頂き、
やがて、ある中年男性の先輩カメラマンから電話がかかってきた。
ハンプティ・ダンプティと心の中であだ名を付けた先輩カメラマンからだ。
よくいる、ちょっと感覚のズレたオッサンだ。
どうやらこの方が、僕の指導教官になるそうだ。
教え方も良くわからず、口調も厳しめ、
他の社員さんからは、
「一人立ちしたら、もっと普通のやり方で良いからね」
と言われる感じだ。
これじゃお客様に納品できねーよ!
と指導教官に怒られた時、そっと質問してみた。
僕「すいません…。あの…ピントはどうやって合わせたら宜しいんでしょうか?」
H・D「合うまでやる」
数年経った今、時効だと思うので、内心を言おう。
「僕は見事に一番ハズレを引いたのだ…」
あとで聞いたが、面接後半年間ほったらかしにされた研修生もいたそうだ…。
会社側も、急成長をしていて、20代前半の子達の希望を聞いて
いられなかったのだろう。
H・Dにも良いところがあり、研修11回目には一人立ちさせてくれた!
デビュー翌日、理由はわからないが、
別のベテラン係長がやってきて、3時間くらい座学で結婚式ビデオの撮影の仕方・基礎をみっちり教えてくれた。
あとは出動して、経験を積んでいった。
お客様からクレームは来ず、なんとか10人に1人のデビューを乗り切ったのだった。
③に続く