映像業界での僕のキャリア③
― 2015年7月28日 ―
映像業界での僕のキャリア③
結婚式のビデオ撮影は、一人で行かせてもらえるようになった。
現在では結婚式のビデオは中型の業務用カメラが主流だが、当時はTV局とかで使う本格的な業務用プロカメラだった。
バレエティ番組等を見ていると、チラリと映ったりする、肩に担いでいるデッカイあれだ!
余談だが、肩から担ぐ大型のタイプは、30分担いで録画するのが限界だ。
僕自身、大型を使用した最後の世代だと思う…。
おかげでカメラ撮影の基礎中の基礎を習得する事が出来た。
ここ5、6年で映像を始めたの新人の方々は、肩担ぎタイプに触れる機会もないし、
ボタンは全オートで研修をさせられるので、技術力の向上に一苦労な事だろう。
その点は幸運だった。
撮影を覚え始めた23歳の僕は、
「次は編集だ…」
そう考えて、会社側にこう聞いた。
僕「編集をしたいんですけど。結婚式の映像編集の部署と、幼稚園・イベントの部署の勤務形態はどんな感じですか?」
先輩社員「結婚式の方は、定時で上がれるんだけど…。幼稚園の方は、季節によっては、3時間睡眠とかかな。」
僕「結婚式の編集がしたいです。」
結婚式の編集ラインでは、『超編』と呼ばれるWindows用の当時でも少し古風な、映像編集ソフトを使用していた。
幼稚園(製作)の編集ラインでは、有名なFinal Cut Pro を使用していて、映像業界を駆け上がっていく身分としては、Final Cut Proを覚えたかったが、
3時間睡眠は、絶対に無理だった。
結婚式の編集部署は、なんと本人の立候補もあり、僕より1つ年下の22歳が、まとめ係をやっていた…。
またこいつが、業界でもちょっと名の知れた変わった人物・I(アイ)である。
何かと彼のハンコやサインが必要だったので、
編集過程・基礎を覚えた2ヶ月程で、その部署はやめた。
そんな訳で、撮影と編集の基礎中の基礎その①を習得した僕は、
見事にビデオソニックの歯車の中に組み込まれて行った。
当時の月給は5万円前後を繰り返し、このペースでは映画監督になれないと容易に想像がついた。
当時、こんな会話がなされていた、
先輩社員A「おがきくんは、どんな映像マンになりたいの?」
僕「….、映画…監督になりたいな…と」
先輩社員B「無理だよ!出来る訳ねぇ、あれはトップ中のトップだよ」
先輩社員C「そんな事より、お前はケーブル配線、覚えろよ~。笑」
先輩社員A「おがきくん、そんな事考えるだけ無駄だから、うちで社員になってバリバリやったら?おがきくんなら、うちで良いとこまで行くと思うよ。うちで1番映像出来る人だって成れてないんだよ、映画監督」
先輩社員B「会社が出来て15年、誰一人いないよ。おがき。笑」
先輩社員達は悪い人達ではなかったが、日々の仕事と、出世競争に奔走していた。
今ほどインターネットも発達途上で、情報のない埼玉の片田舎での出来事だった。
そんな状況を打開するべく、行動を起こす事を決意した…。
その数々の行動達が、僕が他の同世代の新人と違う、非常にユニークな部分なのだろう。
23歳の貧弱な僕は、組織でもなく、通説でもなく、
自分の意思と力を信じる道を選んだ。
それはとても辛く険しい、通り抜けられる保証など、
どこにもない道のりの始まりだった…。
④に続く